飯豊山名考

2011年11月 6日 (日)

飯豊山名考2

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1r0019893 1.「佐渡国全図」 明治9年(1876年)10月刊。小泉其明(1761~1836)が佐渡の国を実地調査し、その明子、蒼軒(1797~1873)がその後を継ぎ、天保初年(1832年)に著した「佐渡国全図」を孫の本間善平が縮写し新しい行政区画を書き加えて出版した物。 

1r0019894 「佐渡国全図」部分 航路図 ①小木を中心として、瀬波、新潟、寺泊、出雲崎、柏崎、西は能登半島の付け根、本吉、機卸?(羽咋、金沢辺り)まで伸びている②北は水津から粟島、飛島を経て、塩越という地名に伸びている。③山は鳥海山、旭岳(朝日連峰)、飯豊山、弥彦山、米山、立山、氷見の石動山の他、能登半島先端にワシノスの名前が見える。

1r0019895 2.「越後輿地全図」文政7年(1824年) 鳥瞰図法を用いた越後国を描いた絵図で、山、郡境、郷村、駅路、古蹟の表示、方位、分界、などの位置距離が正確に記されている。中世の荘園、明治期の書込みもある。実地調査し曲尺二寸八分(約8.5cm)を一里としている。本図には、魚沼郡、刈羽郡、古志郡、三島郡、蒲原郡(のうち三条、村松、弥彦)が納められている。

1r0019896 「越後輿地全図」のうち弥彦 弥彦山は十寶山(多宝山)と神剣山(現在の弥彦山)が書き入れられている。





1r0019901 3.安養寺村絵図控(近世) 佐渡国中部地持院川上流の山間地に位置する安養寺村。金北山へのルートが見える。村名は羽黒神社の別当安養寺に由来する






1r0019906 4.「越後古図」(康平図)(昭和10年作成) 越後古図と称される越後国の過去を表現する絵図のうち、康平3年(1060年)の年紀が記される図を通称「康平図」、寛治3年(1089年)の年紀が記される図を通称「寛治図」という。新潟市が海に点在する島として描かれている

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2011年7月10日 (日)

飯豊山名考

1.飯豊山名の由来

2.古代日本における出端圏の形成

3.飯豊山名のヒント

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